はじめに
今回から、音楽理論において非常に重要な概念である2つの「音律」について、前後半に分けて話していきたいと思います。
ライブなどに行ったことがある方は、本番前にスタッフの人がギター等の楽器を弾いているのを見たことがあると思います。あれは、単に試し弾きをしているわけではなく、調律(チューニング)をしています。調律とは、各楽器が正しい音程が出るように微調整することです。ギターのような弦楽器はちょっとしたことですぐに弦が緩み、音程が外れてしまうからです。
ピアノ等の鍵盤楽器も、ギターほど頻繁ではありませんが、調律が行われます。ピアノの鍵盤は88個すべてについて調律をしなければいけないので、調律をするだけでも数時間かかります。そのため、調律を専門とする仕事(調律師)すらあるくらいです。
調律の方法は楽器によって様々ですが、共通しているのは「決められた音程に合わせる」ことです。決められた音程というのは、たとえば「ラ」が440Hz、「ド」が523.25Hzといった具合に、各音に対して周波数をこの値にしないといけない、というのが決められていて、どの楽器もその音程に合わせる必要があるのです。この、音と周波数の関係のことを「音律」と言います。そして、この「音律」は全世界共通ではありません。というのは、どこの音楽においても「ド」が523.25Hzという周波数を持っているとは必ずしも限らない、ということです。この違いは、単純に周波数を全体的に低め、あるいは高めに調律することがあるため、というのもありますが、それ以上に、根本的な理論が異なる音律が、大きく分けて2つあるためです。
我々が馴染んでいる多くのポップスやクラシック音楽は、その多くが「平均律」という音律に基づいて調律された楽器により演奏されています。一方、一部の音楽では「純正律」という音律が使用されています。数百年前まではむしろこちらの方が主流だったそうです。この2つがどのように違い、それぞれどのようなメリット・デメリットがあるかを説明していきますが、当記事のカテゴリが「コード進行」である以上、「それがコードの話とどう関係するの?」という疑問に答えることは大事だと思うので、少しだけ述べておきます。
先日、以下の記事において「倍音」という概念と、コード(和音)の響きの関係について記述しました。
その記事では、オクターブ離れた2音は基音と2倍音の関係にあること、「ラミ」のように5度離れた音程は基音と3倍音の関係にあること、「ラド#」のように3度離れた音程は、基音と5倍音の関係にあることなどを説明しました。その説明の中で、実際の楽器が出す「ラミ」や「ラド#」の和音については、ぴったり周波数が3倍や5倍になっているわけではなく、ほんの少しだけずれていることもちらっと書きましたが、当該記事では詳しい理由までは述べませんでした。
その理由というのがまさに、現代の楽器が出す音が「平均律」に基づいて作成されていることなのです。
当記事と次回の記事を読むことによって、何故、平均律を使うと倍音の周波数から少しだけずれてしまうのか、また、なぜずれてしまうような音律が良く使用されているのか、といったことも理解していただけるように書いていきたいと思います。
なお、ここで述べることは、単に楽器を弾いたり、曲を作ろうと思っているだけの方にとっては必ずしも必要な知識ではありませんが、知っておいて損はない話だと思います。また、シンセ等で波形などを編集して音を作ったり、楽器の調律を行う方にとっては重要な話になりますので、将来的にそのような職業に就くことを視野に入れている方は、ぜひとも読んでいただけたらと思います。
平均律とは?
まずは、現代の音楽においてよく使われている音律である「平均律」について説明します。時系列でいうと「純正律」の方を先に説明した方がいいのかもしれませんが、純正律は非常に概念が難しく、我々の多くが常識と思っていることが通用しないことがあるため、まずは我々が馴染んでいる平均律の説明をさせていただき、純正律については次回に語っていこうかと思います。
平均律とは、「各音程の周波数の比率が一定になるような音律」のことを言います。具体的に、各音程と周波数の値を載せていきます。
音名 | 平均律で計算した周波数 |
A5 | 880Hz |
A#5 | 932.3Hz |
B5 | 987.8Hz |
C6 | 1046.5Hz |
C#6 | 1108.7Hz |
D6 | 1174.7Hz |
D#6 | 1244.5Hz |
E6 | 1318.5Hz |
F6 | 1396.9Hz |
F#6 | 1480.0Hz |
G6 | 1568.0Hz |
G#6 | 1661.2Hz |
A6 | 1760Hz |
上の表は、A5の音から、そのオクターブ上のA6の全ての音について、実際に楽器が出している音の周波数を載せたものです。A5の音は880Hzピッタリである必要はなく、882Hzでも884Hzでも構いません。その場合は、それ以降の音程の周波数も、以下で述べるルールに従って、同じようにずれるだけです。
平均律にしても純正律にしても、基準となる音の周波数そのものはそれほど重要ではなく、むしろそれ以外の音の周波数を決めるためのルールの方が重要なのです。
ちなみに「周波数ってなんぞや?」という方は、上で挙げたリンク先の記事を読んでいただきたいのですが、簡単に言えば音の高さを表す数字だと思っていただければ良いです。「周波数が2倍になれば1オクターブ上がる」という大前提があり、このことは平均律でも純正律でも変わりありません。
さて、この表から平均律の定義である「各音程の周波数の比が一定になる」の意味について説明したいと思います。たとえば、A5の周波数880Hzと、A#5の周波数932.3Hzの周波数比を計算してみましょう。周波数比は、高い方を低い方で割ることで求めることができ、この場合は932.2÷880=約1.06となります。次に、A#5の932.3HzとB5の987.8Hzの比も同じように計算すると、こちらも約1.06になります。同様に、隣り合った音程同士の周波数比を求めていくと、どの箇所でも、高い音が低い音の周波数の約1.06倍になっていることがわかります。
このように、音程のどの部分を切り出してみても、隣り合った音同士の周波数比が必ず同じ値になる、というのが平均律の意味なのです。今、「隣り合った音同士」と言いましたが、実は、隣り合った音同士でなくても構いません。たとえば、A→C#と、C→Eという「長3度」の音程について周波数の比を計算すると、前者は1108.7÷880=約1.26、後者は1318.5÷1046.5=約1.26と言った具合に、こちらも周波数の比が一致します。つまり、平均律で調律された楽器では、同じ音程の関係にある2音を取り出してみれば、その絶対的な高さには関係なく、周波数の比は必ず一定になるのです。
先ほどの半音の場合の周波数比である、「約1.06」という値がどこから来たか、数学的に説明しますと、これは「2の12乗根」と一致します。つまり、1.06を12乗すると、ちょうど2になるのです(実際には小数点以下を省略しているため、ある程度の誤差は出ますが)。なぜ2の12乗根のようなややこしい数を使うかと言うと、「1オクターブ=周波数が1:2の関係」という定義が、音楽理論でいうところの「オクターブ=12個の半音」であることと矛盾しないようにするためには、各半音の周波数比が2の12乗根である必要があったからなのです。
ちょっと数学的の話になってしまいましたが、話を戻しますと、平均律による音律というのは、どこの音程を切り出してみても、C→GやG→Dのように、音楽理論におけるその音の度数(長3度とか完全5度といったもの)が等しければ、周波数の比は必ず等しくなります。ということはつまり、C、Gを同時に弾いた場合と、G、Dを同時に弾いた場合というのは、音の絶対的な高さこそ異なれど、人間がその和音に対して感じるフィーリングは、全く変わらないことを意味します。和音だけではありません。ある楽曲をキーを1つ下げて歌ったとしても、全体としての音程は下がりますが、各音の相対的な高さ(=周波数比)は一定なため、原曲とほとんど変わらない印象で聞くことができます。
このことは「当たり前じゃないか」と思われるかもしれません。キーが変わろうがメジャーコードはメジャーコードだし、マイナーコードはマイナーコードです。カラオケでもキー下げキー上げは普通に行われています。
しかし、この「当たり前」というのは、我々が「平均律」で作られた楽器によって演奏された楽曲に馴染んでいるからそう思うだけなのです。次回の記事で説明する「純正律」ではその「当たり前」が通用しなくなりますので、「転調が自由にできる」とか「どこを取り出しても同じ音程になる」という特徴は、「平均律」における非常に重要な特徴の1つになるので覚えておいてください。
平均律の「倍音」とのずれ
平均律は非常に便利な音律なのですが、唯一欠点を挙げるとすれば、「倍音の響きとずれてしまう」という点が挙げられます。どういうことでしょうか?それを説明するために、倍音について簡単におさらいしたいと思います。
音の高さは、音を波として表した時の周波数によって決まります。楽器で1つの音を鳴らした場合であっても、1つの周波数の音だけが鳴ることはほとんどなく、多くの場合、その周波数の2倍、3倍…といった整数倍の周波数を持った音(倍音)が同時に鳴ることで、各楽器の音色を特徴づけています。それらの倍音は、意識しても簡単に聞き取れるものではないのですが、全くなかったらどの楽器でも同じ音色になってしまう等、料理でいうところの「味付け」のような立ち位置になっています。
倍音を2倍音、3倍音、などで分類した場合、2倍音は元の音のちょうどオクターブ上の音に当たります。たとえば、基音が440Hzの「ラ」だとすれば2倍音はその1オクターブ上の「ラ」です。3倍音は、1320Hzの音であり、これは1オクターブ上の「ミ」となります。基音と比べると(オクターブを無視すれば)5度の関係にある音です。5倍音は2オクターブ上の「ド#」に相当する音であり、これもオクターブを無視すれば長3度の関係、すなわちメジャーコードを構成する重要な2音の関係になります。
では、ここで以下の表を見てください。
音名(何倍音か) | 基音の整数倍で計算した周波数 | 平均律の周波数 |
A4(基音) | 440Hz | 440Hz |
A5(倍音) | 880Hz | 880Hz |
E6 (3倍音) | 1320Hz | 1318.5Hz |
A6 (4倍音) | 1760Hz | 1760Hz |
C#7(5倍音) | 2200Hz | 2217Hz |
E7(6倍音) | 2640Hz | 2637Hz |
*(7倍音) | 3080Hz | – |
A8(8倍音) | 3520Hz | 3520Hz |
この表では先ほどと違い、基音の倍音(8倍音まで)にあたる音のみを抜粋したもので、2列目は基音の440Hzに対して整数倍をかけただけの値(すなわち倍音の周波数)、3列目が上記で述べた平均律における周波数です。この表を見るとある特徴に気づくかと思います。すなわち、2倍音、4倍音、8倍音といった、2のn乗で表される倍音については、平均律の数字と完全に一致するのに対して、3倍音、5倍音、6倍音などは平均律の数字と微妙にずれているという事です(表で赤文字で示した部分です。ちなみに7倍音は話がややこしくなるのでわざと外しています)。
以前の記事で、実際の楽器が出す周波数が、倍音の周波数と完全に同じにならないということを話しましたが、これはまさにそのことを述べたものなのでした。この理由は、高校数学を習っている方であれば説明ができます。平均律は、オクターブ関係にある音を除き、基音に対して「2の12乗根」という複雑な無理数をかけた周波数になります。一方、倍音は基音に対して整数を掛けたけの周波数です。これらが完全に一致することはありえません。無理数と整数が一致するわけがないからです。
では、この不一致によってどういったことが起きるのでしょうか?例えば、平均律で調律した楽器で、A4(440Hz)とC#5(554.37Hz)を同時に鳴らすことを考えてみましょう。
このとき、各音が倍音を同時に発します。特に、注目してほしいのは、A4の5倍音と、C#5の4倍音です。なぜなら、理論上はこれら2つの倍音は、同じC#7を示すからです。
A4の5倍音の周波数は、440×5=2200Hzで求められます。一方、C#5の4倍音(=2オクターブ上の音)は、554.37×4=2217.48Hzとなります。近い値になりましたが、約17Hzの差が出てきました。この差が出る理由は上で述べた通りです。
そして、倍音というのは人間の耳に意識して聞こえるほどではないですが、それでも常に鳴っているということは以前の記事で説明しました。ということは、2200Hzの音と、2217Hzの音が(意識しては聞こえないにはせよ)同時に鳴っていることになります。
周波数が非常に近い2つの音が同時に鳴ると、人間の耳には「うなり」という現象として表れます。「うなり」というのは、周波数が極めて近い波が同時に発生することで、振幅が周期的に変わる1つの波として聞こえてしまう現象のことを言います。ややわかりにくい表現なので、もう少しわかり易くいいますと、一定の音量を発しているはずなのに、音量が大きくなったり小さくなったりするように聞こえるのです。今回の場合は倍音同士のうなりなので、意識してそのうなりを聴くことは難しいですが、例えば調律がずれているなどで、基音同士がうなる場合ははっきりとその違いがわかる程度になります(ギターで6弦と1弦の「ミ」の調律が少しずれてて同時に鳴らすと「ウォ~ンウォ~ン」と聞こえた経験はありませんか?それが「うなり」なのです)。
「平均律」は、その数学的な性質から、この「うなり」を根本的に解決することはできない音律と言えます。倍音どうしのうなりは、意識することは難しいとはいえ、人間にとって本能的に「美しい」とは必ずしも言えない響きを発します。平均律によって調律された様々な楽器で演奏される現代の音楽は「うなりの音楽」と言っても間違いではないでしょう。ただし、実際のポップス音楽の多くは、ボーカルのビブラートやギターのエフェクターによる歪みなど、「うなり」以上に音程をずらす要因がたくさん使われている上、楽器もたくさんの種類が使われていて「うなり」自体がかき消されたりといったことにより、うなりが表面化して不快感を与えることは少ないようです。
一方、この「うなり」が理論上発生しない音律も存在します。それが「純正律」です。うなりが発生しない「純正律」は「美しい音律」「理想的な音律」とも呼ばれるように、美しい和音の響きを持つため、声楽や教会音楽などでは、使われていることは少なくありません。
そんな素晴らしいものがあるなら、なぜ多くの音楽で「平均律」が使用されていて、「純正律」が使われないのでしょうか?次回はその「純正律」の性質を説明し、「平均律」とともにメリット・デメリットなどについて語っていきたいと思います。
後半はこちら↓