はじめに
今まで、様々な曲のコード進行を紹介する記事を書いてきましたが、今回はちょっと視点を変えて、1つのコードに注目した記事を書いてみようと思います。
音楽のコードには様々なものがありますが、よく使われる基本的なコードはメジャーコードとマイナーコードでしょう。
メジャーコードとは、「ドミソ」などCとかEといった記号で、マイナーコードとは「ラドミ」など、AmやDmといった記号で表せる和音の事を言います。コードを単独で弾いた場合に多くの人が感じる感情は、おおよそ以下のようになります。
メジャーコード・・・明るい、楽しい感覚
マイナーコード・・・暗い、悲しい感覚
曲の中に使われるコードであれば、明るいとか暗いとか言った感覚は曲の全体の印象に紛れてしまい、個々のコードによる印象はそれほど強くないかもしれません。しかし、コードを単独で弾いた場合の印象は、多くの人が上記の印象を持つものと思われます。
何故、多くの人がメジャーコードが明るいという印象を持ち、マイナーコードに暗いという印象を持つのでしょうか?
実は、この理由ははっきりと解明されているわけではないようです。そもそも、「明るい」や「暗い」といった人の感情自体を簡単に解明できないのですから、それに音楽も絡んだら科学的に解明するのはとても困難ですよね。しかし、解明はできていないまでも、推論はいくつか出ています。
本記事ではコードによって感じる印象が異なる理由を、難しすぎる論理は用いずに(といっても、ある程度は音楽用語は使いますが)、どういった説があるかどうかを紹介していきたいと思います。
コードによって印象が変わる理由の2つのアプローチ
コードによって印象が変わる理由についての推論は様々なものがありますが、大きく分けて2つのパターンがあります。
- コードそのものが「明るい」や「暗い」といった性質を持つ、という説
- 生育した環境により「明るい」や「暗い」といった感覚は人により異なる、という説
どちらも簡単に否定できるような内容ではなく、非常に興味深い内容なのでぜひ読んでいただけたらと思います。
コードそのものの性質による説
本項目では、「コードそのものが『明るい』とか『暗い』といった性質を持っている」という説について説明します。
ただ、このことをまともに説明しようとすると、数学的な説明も必要になってしまいます。それほど難しい理論ではないのですが、本記事で読み物としての記事を目指しているので、細かい点の理屈は抜きにして、要点だけかいつまんで説明します。
音の正体が空気の振動からなる波であることはみなさんご存知かと思います。その波は、早く振動するものから、ゆっくり振動するものまでさまざまありますが、ゆっくり振動するものほど低い音に、早く振動するものほど高い音になります。そして、その振動の速さを数値として表すための指標として「周波数」というものが使われています。そして、2つの音を同時に鳴らした場合、一方の音の周波数が、もう一方の音の簡単な整数倍(たとえば2倍とか3倍とか)となる場合に、人間の耳にはきれいな和音として聞こえる、と言われているのです。ここで、周波数が2倍とか3倍とかの音の事を「倍音」と呼びます。
メジャーコードは、たとえばCメジャーであれば、Cの音の簡単な整数の倍音のみで構成できることが知られています(厳密にいえば、「倍音」に極めて近い周波数の音であり、ピッタリ整数倍になるわけではありませんが、整数倍とみなしてもほぼ問題ありません)。一方、マイナーコードは、Cの音の簡単な整数倍の倍音だけでは作れない音なのです。これは、CだけでなくAマイナーやAメジャー等どのキーのコードでも同じことです。
このことが、メジャーコードの方がマイナーコードよりも心地よく感じる、という説の根拠となっています。(この「倍音」の概念については、別の記事で、もう少し詳しく語ろうかと思います。)
以上の理論は確かに一理あるのですが、「倍音が心地よく感じられる」理由を根本的に説明しているわけではありません。波の形が近いからと言って、それが気分良く聞こえるというのは必ずしも明らかではないからです。それを証明するためには脳生理学的などの知識も必要になってくるでしょう。残念ながら僕にはその分野の知識は全くないので、波の性質としての説明以上の事はできません。実際のところ、この説をはっきり裏付ける証拠も、はっきりと否定する証拠もないように思います。
生育した環境を要因とする説
もう一つの説は、上記の音の理論的な説明に比べると非常に簡単です。コードそのものに「悲しい」、「楽しい」というような性質はそもそも存在せず、幼少時から、メジャーコードで構成された曲は楽しい曲として、マイナーコードで構成された曲は悲しい曲として聴いて育ってきたから、メジャーコードを「明るい響き」、マイナーコードを「暗い響き」と「思い込んで」いる、という説です。
その説を裏付ける実験として、音楽をほとんど聞いたことがない幼児に、メジャーコードとマイナーコードを聞かせても、特に反応が変わらなかったという結果が出た例があるそうです。
それから、メジャーコード、マイナーコードというのは西洋音楽にしか存在しない概念です。西洋音楽の音楽理論では1オクターブを12等分した音階を使っており、日本で売れているほぼすべてのJ-POPもこの音階に基づいて作られています。
しかし、この12音階というのは万国共通のものではありません。例えば、インドネシアの伝統音楽である「ガムラン」では、1オクターブを5等分した音階が採用されています。このような音階には、メジャーコードもマイナーコードも存在しません。そして、このガムランの音階を、西洋音楽になじんだ人(日本人も含めて)が聞くと、非常に奇妙で不安定な感覚を受けます。しかし、現地の人たちはその5音階の奏でる響きを、普通の心地よい音楽として聴いて生まれ育っているのです。
逆に、12音階を使わない国の人にマイナーコードを聞かせても、特に悲しい気分にならなかった、という事もあったそうです。彼らにとっては自分たちの民族音楽の音階の中に「明るい音階」や「暗い音階」が存在するだけであり、西洋音楽のメジャーコードやマイナーコードは、いずれも「奇妙な音」でしかないのかもしれません。
このように、生育した環境によって、明るいと言われている楽曲でよく使われているのがたまたまメジャーコードであり、暗いと言われている楽曲でよく使われているのがたまたまマイナーコードだったというのが、環境を要因とする説の主張です。
まとめ
以上で述べてきたように、メジャーコードを明るいと感じ、マイナーコードを暗いと感じる理由として、音楽理論に基づく説と、生育した環境に基づく説を説明しました。どちらも一理ある説であり、簡単に否定できるものではないと思います。もしかしたら、2つとも正しい説で、それらが複合しているのかもしれませんし、ここに書いていない第三の理由が存在するのかもしれませんね。
普段何気なく聴いている音楽でも、それらの奏でるコードの響きを聴くと、このような考えが尽きません。